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瞬間と瞬間の間の瞬間

Timelineなんだか、瞬間続きのタイトルになりましたが、「瞬間」という言葉は、言葉としては分かるのですが、実際の体験となると時間がある世界にいる限り「瞬間」を見たり触ったりすることはできません。この瞬間、と思った時には、その瞬間は過去になってしまいますよね。

瞬間を生きるとか、今を生きるということは、今のタイムラインだけではなく、目に見えている世界やまだ見えていない世界も全てを含めて生きるということになります。つまりは、全ての時間を包み込む、全ての時間を点として観察する。というようなニュアンスになります。ということは、過去も未来という概念も超えたところにあるのが瞬間ですね。そこにはスピリチュアルもリアリティという区別もなく、全てが統合されている場所。

私たちは日々の生活の中で、あまりにも多くの事をやらなければならなかったり、いろんな事を考える事があったり、また情報がたくさんあるため、意識が散漫になりがち。そんな時、私たちは時間軸を順序よく生きています。

しかし、例えば自分が夢中になる事、クリエイティブな事などをやっている時は、意識的にも無意識的にも多次元的に生きています。夢中になっていると時間があっという間に過ぎた、なんていう体験ありますよね。

瞬間と瞬間の間には、多くの私たちが体験している可能性や時空というものが存在しています。例えば、SFの話で、宇宙人に遭遇して何らかの操作を受けて記憶を消去されたとしましょう。その間の体験は、全て忘れてしまっていて、どんな状況だろうと記憶としての時間を考えると、その前後は繋がっていますよね。映画のような話ですが、実はこのような事はこの瞬間も起こっています。瞬間と瞬間の間に、あるタイムラインで80年生きているかもしれません。

あるポイントになると、全てがまとまります。そして、これからのタイミングで、まさに点と線が繋がるように、瞬間を生きることになるようになるでしょう。結局、それを邪魔しているのが、葛藤なんですよね。瞬間を意識するためには、様々なテクニックが存在しています。例えば、瞑想、ヨガ、音楽、アート等。集中して心から楽しむことや、リラックスできることを日常に活用することで、様々な事が明らかになってくるように感じています。

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「瞬間と瞬間の間の瞬間」への11件のフィードバック

  1. トミー講座待っていました(^0^)/
    調度、今日その話しをしていた所でした。
    まだ、理解仕切れていない事がありますが、自分が夢中になっている事をしている時は、今ここに存在している。
    瞬間を過ごしていると云う事ですか?

  2. 追伸
    で、夢中になっている時の自分を観察する事大変そうです。
    瞑想やYogaは自分に意識を向けますが、夢中になってスポーツしたり、料理している時、自身を観察するの難しい。
    瞑想Yogaと料理や他の事とわけてしまう事じたい変ですか?
    意識の向け方というか、観察する自分がずっと観察出来ない気がして。
    行動している自分と意識、観察してある自分が同時に存在出来ないというか。。。

  3. >かこさん
    コメントありがとうございます。夢中になっている時、特に拡大を感じている時、それは「セルフレス」「無私の私」という状態ですね。自分という概念さえなくなっていて、ただ存在しているような感覚ですね。あるポイントまでは観察という視点を意図的に心がけることは大切ですが、「観察する」という概念さえも無くなる時が来ます。
    それは、行動する事から「存在」への移行です。瞑想やヨガは体の意識を持ちながら、意図的にその状態に持っていくテクニックです。なので、これもあるポイントになれば、やる必要は無くなります。瞑想には2種類あって、静的瞑想と動的瞑想です。静的なのは座ってゆったりとしたもの、動的は体を動かしながらの瞑想(夢中になっている時もこの状態ですね)なので、ヨガと料理をジャンルとして分類することはできますが、「己を知る」という意図においては分類することはできません。行動している自己と観察している自己をバランスを取ることが、まさに葛藤をリリースすることに繋がりますね。特に夢中になっている時って、「この人にこう思われるからこうしよう」なんて事を考えずに、ただ、そうしたいからそうする、という状態になっていませんか?
    それがキーですね。その時、他者と自分の境界線が無い状態、まさにユニティの体験です。以上ですが、参考までに♪

  4. いつも、うーんそうなのかー。。ととても興味深く読ませていただいてます。 詰まっている時に、ナイスなタイミングでアップされているので「感謝」です♡
    タイトルからは反れますが、ユニティの体験・・他者と自分の境界線がない状態。。コレについて質問です。
    ヒーリングの勉強をしていると、自分がしっかりグラウディングして自分のスペースを確保して・・つまり境界線を確保してお互いのエネルギーの干渉がないようにと教えられます。
    自分の領域を確保しておかないと、ヒーラーは危ないと教えられました。 
    私が思うにユニティーとは、自分のなかの過去、今、未来という概念の枠組みをはずして、そのすべて、がかけがえのない一つとして、自分のなかにある。。ということなのかな?と感じていますが、とみさんはいかがお考えでしょうか?

  5. >フラワーさん
    こんにちは。コメントありがとうございます。ナイスタイミングだったようでよかったです。ご質問の件ですが、葛藤がある場合確かにヒーラーとしてクライアントさんとセッションを行う際、グラウンディングやバウンダリーを明確にしておかなければ、相手=私なので、相手を救おうという気持ちが起こったり、自分のものか相手のものか分からなくなってしまい、個人的に受け取ってしまう可能性が高くなると思います。葛藤がリリースされると、ヒーリングは自発的に行われます。その時、相手も自分も含有された状態になるので、相手を表現している自分の部分というものを明確にでき、ただ一緒にいるだけでヒーリングが起こります。この時、エネルギーには意味付けがなくなり、単にエネルギーはエネルギーになっている状態ですね。
    僕が体験として感じるユニティは、分離なくユニークな存在の全てが繋がっている状態です。それは、まさに現在、過去、未来という枠組みもないですし、自分と他人という枠組みもなく、多次元的な存在として自分自身を世界に表現している状態です。そうですね。全ての人はこの状態は自分の内側に始めから終わりまで持っていますよね。参考までに。

  6. トミーさん
    回答ありがとうございました(^0^)/
    で、そうすると、夢中になっている時=拡大している時で、無私の私になっている時なんですよね。
    それって、面倒で嫌な仕事をしている時でも知らない間に、夢中になっている時、多いにしてありましたが、好きな事をやっている以外でもありえるって事です?
    やりたいからやる。から始まってはいませんが、やらなくてはいけないからやっているけど、知らないうちに夢中になっていた時も、無私の私?
    他に、自転車漕(?漢字あっているか不明)いでいる時もある意味、夢中になっている時あります!我に帰ったらひたすら漕いでいる自分がいたり。(意識飛んでます?)
    後、夢中でおしゃべりしている時とか(笑)。
    これは好きでやっているから始まるけど(^0^)/
    これも?
    そうすると、そう言うのが多い程、拡大している?と言う事ですか?
    時間に遅れそうで、必死になって待ち合わせ場所に向かっている時とか(笑)。
    これ、すべて?です?
    変な質問ですが。
    そういえば、赤ちゃん、子供は何をしている時でも夢中ですよね。
    彼らは、「無私の私」の存在ですね。

  7. >かこさん
    コメントありがとうございます。「無私の私」となっている状態の時って、葛藤やジャッジ等が無い時ですね。なので、それは「好き」「嫌い」という概念を超えた状態だと感じます。で、嫌いな事をやっている時に、もし「嫌だな」とか「辛い」というストレスがある場合は、体の意識が散漫になっている時なので、意識が収縮していて無意識になってしまいます。この時は、無私の私ではなく、何か感じたくない事があるためですね。でも、嫌なことであっても、その中に何かワクワクした要素を発見できれば無私の私に繋がります。結局、ジャッジが無ければ、どんな瞬間も実は喜びしか無いんです。
    まさに、子供のような無邪気さや遊び心がキーですね。
    またワクワクしていることに集中している時こそ深い瞑想体験です。自転車漕ぎのようなエクササイズも意識的に行えば、瞑想体験に繋がって、意識を拡大するために使えます。結局は、どんな時も意識的に観察することが、無私の私という存在になるためのポイント。それは自分のためだけでなく他者のためにも。以上ですが、参考までに。

  8. トミーさん
    そうなんです、そうなんです!
    なんか好き、嫌いも無いような気がしてきたんです。
    すべてに置いて繋がれる時ってあるように思えたんです。
    やはり、そうなんですね。
    嫌な事やっている時でも、夢中になって、そこにワクワクしたものを感じた事あったし。
    無私の私になる事が他の人の為にもなるというのがまた良いですね♪
    自分にとってもグーで、他の人にとっても良い事だなんて、スッゴいですねぇ!
    マスマス楽しくなってきました!
    有難うございます(^0^)/

  9. かすてーら

    「判断はしない」で「意識はする」。
    これって、ちょっと難しいような気がしました……。
    意識はするけれども、「眺める」って感じですか?
    他人事のように、っていうのはちょっと違いますかねぇσ(^_^;)?

  10. > カステーラさん
    コメントありがとうございます。確かに判断はしないということは長年のパターンを壊すことに繋がるので難しいと思います。そして、判断しないことは意識せずにはできません。無意識だと、私たちは生き残るための戦略を使って、前と同じ事を繰り返す傾向があるからです。
    そうですね、まさに「眺める」「観察する」という表現になると思います。他人事と言うと、ニュアンスにもよりますが、何か起こった事を他の人の責任にしてまうという感じになるので、ちょっと違いますね。どんな場合でも自己責任ですが、起こった出来事には投資せず、裁かず、あるがままを認識する事がポイントですね。

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